第二話

 「待って。お父さん!」
確かに子どもはそう言った。
遠くでは電車のライトが煌々と輝いている。
心拍数が徐々に上がっていくのが自分でも分かる。
(似ている…)

 昔から彼(坂井涼)は不幸であった。
彼が生まれた頃には、もう父には別の女がいた。
母はそのことを知り、何度も離婚を申請していたが、いつも父の横車にかなわず、諦めてしまう。
そんなぎくしゃくした日々が続いていた。
その後幾年か経ち、母は遂にガスを使い、彼との無理心中を図る。
ところが、皮肉にも彼だけが助かってしまう。
父は表面だけは虚脱感を装い簡単に葬式を済ませ、遺産をたんまり奪い取りその女と別の場所へ行こうとした。
その時、駅のホームで彼は我を忘れて泣き叫んだ。
「待って!」
しかし、父と女の寄り添いあっている背中は何事も無いように遠ざかっていき、終いには見えなくなった。
「待ってお父さん!」
−−−−ちょうど、この駅だった。

 彼には断ることができなかった。
黙って手を差し伸べると、子どもはリュックを背負い、嬉しそうに彼の手につかまってきた。
改札を出て、そのまま二人とも無言のまま歩き続けた。
(一体俺は何をしているんだ。誘拐だぞ)
そう思っているのに手を離せない。
ふと空を見上げると、満月だった。
(そういえば最近、由香の顔を見ていないな…)
月は不思議だ。
見ているだけで吸い込まれるような、不思議な魔力を持っている。
そんなことを思っているとマンションの入り口まで来ていた。
「ここだよ」
彼はドアを開けた。


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