満員バス
5月のある日。 満員バス。 学校、そして部活帰りで足がとても重い。 立っているだけでも辛いのに、満員とまできている。 (座れないかな〜) 一番近くの座席には年寄りのおじいさんがゆったりと腰掛けている。 (早く降りてくれ…頼むから…1000円あげるから…) 頭の中で懇願してみる。 降りるバス停まであと10分以上も時間があるのだ。 重い荷物に彼の足が震えだす。 (も…もう駄目だ…) 身も心も潰れそうになったその時、座っていたおじいさんが徐(おもむろ)に立ち上がった。 彼は鋭く、周りを見渡した。
(もういや…仕事は疲れるし上司は気持ち悪いし…) 彼女は今年の春から新しい会社に勤め始めたOLである。 まだ若く、それなりの気品や美しさも備えている…と自負している。 だからこそ、毎日上司から必要以上に構われ、他のOL達に嫌がらせを受けていた。 帰る時はいつも、心身共に憔悴しきっている。 後ろを振り返ると、中年の男が必要以上に自分の背中に寄りかかってきっていた。 思わずカッとなった彼女は、ためらうことなくそのオヤジの足をハイヒールで踏みつけてやった。 「イテッ」 オヤジは我に返ったように、素っ頓狂な声をあげた。 多少戸惑ってはいながらも、怪訝そうな顔でこちらを見ている。 (いい気味よ…) 彼女は思い切り男を睨みつけ、わざとらしく高い声で謝った。 (満員バスって大っ嫌い。うざいし、怖いし。あーあ、早く席空かないかなー) そう思って前の席に座っているおじいさんをちらっと見ると、ちょうど、荷物をまとめているところだった。 (うっそー。やったー座れる。歓喜の極みなり〜) 彼女はニコニコしておじいさんを見つめる。 バス停に着くと同時に、おじいさんは徐(おもむろ)に立ちあがった。 その瞬間、彼女は一転して鋭く、周りを見渡した。
おじいさんが降りたバス停で、一人のおばあさんが大儀そうに乗ってきた。 席はまだ空いたままである。 それを見た彼と彼女はがっくりとうなだれた。 (あーあ…ここで座るわけにはいかない…よな?) (もう!せっかく座れそうだったのに!!) おばあさんはゆっくりと席に近づいてくる。 (私のために仕方なく席を空けてやっているって感じね。感じが悪いわ。わざとゆっくり行って、じらしてやろう) おばあさんはいかにも大変そうに息継ぎをしながら、止まっては歩く、止まっては歩くを何度も繰り返した。 (なんだあのババア!座るなら早く座れっ!!) (偉そうでむかつくわね〜ああいう奴に税金が流れると思うと…) 二人共、露骨に嫌そうな顔をし、おばあさんのために道を空けた。 それを見ておばあさんは、ゆくりなく口元をゆがめた。 (ほほほ…効果は抜群ね) それは一瞬だった。 いや、実際には数秒が経過していたが、誰もがそれを一瞬だと思った。 唐突に横からササッと入ってきて、あっさりとその席に座ってしまった者がいた。 三人とも声が出ないほど驚き、その新参者の顔を見つめた。 そいつは風貌から、どうやら学生のようだ。 (なんなんだこいつ!やられた!) (おばあさんにはいい気味だけど…やられたわねー) (な、なんと!マナーを知らない若者め!!) そいつはフーと息を吐き、ゆったりと席にもたれた。 バッグから本を取り出し、何食わぬ顔で読み始める。 紛れもない。 そいつの名前は ヤンバルクイナ