もし、あなたの願いが一つ叶うとしたら何を願うかと言う愚問には僕は変わることのない日常とお金が欲しい、そう答えるだろう。
どちらを優先させるかと言うと、現代日本における選挙で有権者が感じているであろう責任レベルが紡ぎ出す社会現象的数値より遙かに高いでパーセンテージで前者だと断言することを誓う。
実際問題、それは叶っていないワケではない。
だが叶ったと言えるまでには到底成っているとは言えないようだ。
それには内面的な要素が深く関係している。
詰まるところ、この日常が何処まで続いていくかを知らない不安、そして僕たちの立ち位置の脆さを強調するような情報に対して抱く恐怖心を撤廃しきれない。
自分たちの棲むところは文明の利器で覆い隠す。
その利便さは常に破滅を孕んでいるであろう。
実際にそれらが運んでくる災害や死の薫りに僕たちは気付いていない振りをしているのかもしれない。
今僕たちを包み込んでいる仮初めの日常はどこから崩れていくのかな。
僕は切に願おう。
春の朝は実に小気味良い物だと実感する。
別にセンチメンタリズムを掲げるわけではないが小鳥のさえずりや川の水などが立てる豊かなアンサンブルを耳にすると感嘆の念が自発的に湧き出してくる。
そうした初春の陽気を胸に新しい制服を身に包んだ新入生がうちの中学に押し寄せる図は実に微笑ましい。
決して新しいとは言えない西高の校舎の二階の窓からその光景を見ながら感慨に耽っている。
去年と同じ担任の話など毒にも薬にもならない。
無益な情報を頭に流し込むより、新鮮な風景を愛でている方が有益な時間を過ごしたような充実感に浸れて良い。
連絡などの要所は聞き取っているがろくに面白くもない話やカリスマ性に欠けている冗談などは聞き流し新参者の来訪に目を向けるようにと心がけている。
もしも冗談のような連絡事項の可能性があるので後で京子にでも確認させてもらおう。
京子、というのは僕が友誼を結んでいる者達の中の一人だ。
長い黒髪をポニーテールにするためにしているリボンが可愛らしい女の子だ。
一番親しい友人と言ったら間違いなく京子だな。
そう思いながら連絡事項を聞き逃したことに気付き、自警をしながらも窓の外を見る。
かなり熱心に新一年生見ているのだが無論、年下好きの危ない人のように頬をほころばせて独りごち、と言う要素は含んでいない。
ふと、一人の新入生が目に止まった。
目に止まったと言うよりデジャヴと言った方がしっくり来るんじゃないかな?
とにかく他の生徒には感じられなかったモノがあったのは確かだ。
青い瞳で金髪という留学生っぽい女子だ。
外見だけでも目立つのだが、それ以上に意識が向くような雰囲気を纏っていた。
「もう、優樹ってば何ぼんやりしてんの?ホームルーム終わったんだから早く帰ろうよ。帰りに伊勢丹に寄ってくれるって約束忘れたの?」
そんな声がして振り向くとやはりポニーテールだ。
今日は赤いリボンをしている。
伊勢丹に行くというのは帰ってから着替えて新宿まで行き、伊勢丹の中をぶらぶら見に行くという内容のモノだ。
忘れるわけがない。
「京子はせっかちだな。ちゃんと覚えてるよ。よいしょっと。」
そう言って僕は気怠げに席を立つと手早く帰りの準備をした。
「おまたせ。じゃあ帰ろうか。そう言えば鈴木の姿が見あたらないな。彼は先に帰ったのかい。」
鈴木という日本には数多く存在するがこの場合は僕の友人のことだ。
鈴木智也。これが彼を表す記号だ。
鈴木の奴は意外と運動が出来る。
所属しているのはうだつの上がらない弱小サッカー部だが同じく所属するこの地域が所有する某サッカーチームの中ではトップクラスの実力を持つ名FWと謳われている。
最も、脳のスペックはトークとサッカーには一級だが勉学向きではないようだ。
あの成績でよく上がれたもんだと今でも感心をしている。
まさしく、芸は身を助けるのだろう。
「智也は相変わらず選手選抜されて地方に飛んでるわ。恐らく帰ってくるのは明後日ってとこね。」
残念だな。彼も誘ったら僕相手に話すより良かったんじゃないのか。
「あんな奴居ない方が良いのよ。確かに話は面白いけど無駄にうるさいのよね。結論は頭脳明晰でセンスの良い優樹と話してる方が楽しい、で決まりだよ。」
褒められて悪い気がするモノではない。ただ、少し恥ずかしいな。
「そうか、それはありがたいな。一緒にいる時間が長いのに満足されてなかったら罪悪感を感じずには居られないからね。僕も君の心地よい雰囲気を実に気に入っている。君と話しているととても落ち着くんでね。」
そう?と聞き返してきた彼女の目には邪念がなかったように思える。
ちょうど新入生も説明会が終わったのか、ぞろぞろと初々しい表情をした生徒達が早速出来た友人達と仲良く話ながら歩いている。
まだ口調に丁寧語が混じっていると言うところが微笑ましくもある。
「ははっ、優樹が新入生と混じってても違和感ないや。」
気にしている事をピンポイントで指摘するのはいかがなモノかと思うぞ。
確かに僕は背が低い。一五〇p前後しかない体躯はどう見ても高一かそれ以下かである。
だがそれは僕だけでなくすぐ横を歩いている親友にも言えることであろう。
その旨を彼女に伝えると、
「私は大丈夫だよ。だってほら、優樹より2pも背が高いんだから。アイムトーラーザンユー。」
何とでも言うが良い。海外では適度に小さい方がモてるという。
海外に行けば需要が高くなるのだから何とも思ってないさ。
グローバル化は決して反対ではない。
「じゃあ後でね。」
京子と他愛もない話をしながら帰宅し、私服に着替え、準備を整えると12時を回っていた。
急いで新宿に行って噂のスイーツに舌鼓を打ちたいな。
メインはオムライスが良い。
色々な思惑を蔓延らせながら隣に建つ小じゃれた建造物の門についている呼び鈴なるモノを鳴らす。
軽快な金属音を交えた音色が豪華な家屋の中から漏れて聞こえてくる。
はーい、という聞き慣れた声と共に見慣れた人物が現れる。
米塚京子。地主の娘。羨ましいと思ったり思わなかったり。
「待たせちゃってゴメンね。じゃ行こっか。」
すっかりめかし込んだ京子に促されるままに歩を進める。
僕たちはファッションについて語らいながら駅へと向かった。
空は蒼く、純白の雲を縫って差してくる日差しは柔らく温かくもあった。
この時点では、僕は何も知らない一般人でいた。